珍味なっとく故事成語

少年よ大志を抱け


Boys,be ambitious
北海道大学の前身である札幌農学校の初代教頭として来日したアメリカの農業教育者、ウィリアムスミス,クラーク氏が帰国に臨み生徒に与えた名句である。 これから社会にでて大いに活躍しようという若者たちは、将来に対する希望、抱負は大きく雄大であれという。
志を大きくもてば、それに向かって大きな努力もできる。また、大きな成功を収めることもできるであろう。志が小さくては結局小さいことから飛躍できないではないか。ちなみにクラーク氏は南北戦争の大佐であるとともに、マサチューセッツ農科大学初代学長でもある。
さて、みなさんにも大志をもっていただきたい。大志はすごいよ。聖徳太子に特命全権大使、皇太子、読みは違うが「芥子明太子」アホ! あったかごはんにいいんですよ、これが。


凝れば妙あり


一事に精神を注ぎ込めば、自ら妙味を見い出すものである。いくら凝ってもよい考えの浮かばないときは「凝っては思案に能(あた)わず」であるから、さらに白紙に戻って出直してみることである。これを繰り返すうちに、きっと何かをつかむことができる。
さて、私たちの近くにもかならずといってよいほど何かに凝っていらっしゃるかたがあるようです。何といっても趣味と名のつくものが曲者(くせもの)である。お茶に生け花、料理に書道、犬猫ペットに蛇亀ペット、カメラにVTR、パチンコ競馬のギャンブルまで、凝るものには不自由しないご時世でありましょう。あっ、インターネットも入れときましょうか。もちろん仕事に凝っていただくのもこれまた結構なことですが。さあ、妙味百満点、あなたはどんな妙味を見い出されていますか。えっ、肩凝り妙味ですって、それはご苦労様。


油を売る


その昔、行灯(あんどん)であかりをとっていた頃、油売りは油を升で量って売っていたらしい。油は粘りがあるのでしずくがきれるのに長くかかる。昔は油の一滴も大事にした時代である。それで油売りは客と無駄話しなどしながらしずくがきれるのを待ったが、それが何か怠けているように見えたのであろう。
ふつうは、仕事を怠けて時を過ごすことをいい、用事を頼んだ相手が「鉄砲玉の使い(行ったきりで返ってこない)」になったときもこの類であろうか。油を売っているかもしれない。これなどは近年も世間でよく使われているのではないでしょうか。油売りの得意なかたは程々に。


過ぎたるは猶(なお)及ばざるが如し


何事も程度をこすことは、不十分と同様で好ましくないということを言っている。物事は、過なく不可なく中正であるのがよい。度が過ぎれば害になるということです。たとえば、「薬も過ぎれば毒となる」という類語があります。薬にも程度というものがあり、たくさん使用しても効くどころか反対に害になってしまう。薬も毒物、劇物なのである。もう一つ度が過ぎると困るものに「お酒」があります。わかっちゃいるけどやめられない、とまらないと直ぐに過ぎてしまうのではありませんか。過ぎたるは体に猶及ばざるが如し、カラオケも過ぎたるは騒音公害なり、講釈も過ぎないところで切りあげます。


桃栗3年柿8年


果樹の苗木なども近年はスーパー等の店頭に並べられており、購入されて植えられた方も多いのではないでしょうか。そして、こんな言葉を口にされ、また耳にされたこともおありでしょう。あまり聞かない言葉に「柚は9年で花盛り梅はすいとて13年」というのもあるようです。桃と栗は芽が出てから3年で実を結び、柿は8年たって実を結ぶ。木にはそれぞれ種をまいてから、実がなるまでに必要な年月があります。そのように私たち人間も、その職業や学問、技芸に応じて必要な年季を入れなければ成果は期待できないものです。何事も一朝一夕には成果のあがらぬもの。よく職人芸を目にする機会がありますが、たやすいように見えても素人にできないのがこの職人芸でもあります。さてさて、みなさんの年季はどんな桃栗でしょう。


楽は苦の種苦は楽の種


医者気質(かたぎ)に、「楽は苦の種苦は楽の種、悪人程うるさき者はあらねど善人を見出すの種なれば」とあります。楽と苦はつねに絡み合っており今の楽は先の苦につながり、今苦労すればその先は楽を生むということ。楽のときの慢心を戒めて苦しいときの励ましとし、努力することが大切であるといっている。こういう言葉は洋の東西を問わずあるものです。英語では No pain,No gain というのがあります。「苦労なければ取り得なし」と訳すそうです。どこかのTV番組に「じぃ〜んせい楽ありゃ苦〜もあるさ...」なんていうのがありましたっけ。苦は72というのは小学生くらいでしょうか。インターネットの電話代も苦の種ですなあ。


当たるも八卦 当たらぬも八卦


八卦(はっけ)とは、周易で自然界や人事もろもろの現象を、陰陽を重ねて八種のかたちで示すもの。易者はぜいちくを使い算木を掛で表して占う。これは古代中国からの伝来らしい。普通は占いのことを八卦という。ヨーロッパでは占星術が重視され、トランプ占いも盛んである。ジプシーの水晶球占いもみなさんご存じ有名なり。 今も昔も占いブームはすごいすごい。やはり、いいことを期待してのこれ占いであるのは確かと思うのですが。インターネット占いもあるでしょうし、巷ではおみくじロボットまで登場する始末。順番待ちよろしく長蛇の列はOL、それとも女学生、これも一種のレジャーでしょうか。 この占い、当たるときもあれば外れることもある。それを信じることもないし、それで病むこともない。今流に言えば「当たるも不思議、当たらぬも不思議」の方が当を得ているだろう。ジャンボ宝くじは当たるほうが不思議、それでも当てってみたいもの...


笑う門には福来る


笑う門(かど)には福来るというこの諺、いちどはお聞きになったことがあるでしょう。何といい言葉ではありませんか。和やかで、いつも笑いごとのあるところにはおのずと幸福が訪れるということを言ったものです。笑いというのは、和合、平和、快活、明朗などの幸福を招く出発点なるものです。そして、いい諺にはたくさんの類語があります。
笑う所へ福来る
祝う門に福来る
和気財を生ず
笑う家に福来る
笑う顔は打たれぬ
笑って損した者なし
多少ちがえど思うところはみな同じ、いろいろあるものですね。ただ、現代社会はストレス社会、この反対が多々ございます。病は気からとも申します。ストレスためずに笑って発散、ワッハッハ!


きょうはこれでおしまい。
また暇なときにアップデートします。
またのご来店をお待ちしています。

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